平成30年度国立大学法人佐賀大学学位記授与式式辞
先ほど学士、修士、博士の学位を授与された1,617名の卒業生、修了生の皆さん、佐賀大学を代表して心から祝福いたします。
皆さんは入学以来真摯に勉学に勤しみ、本日の学位記授与式を迎えられました。中でも37名の留学生の皆さんは、母国を遠く離れ、言葉や習慣など異なる環境の中でよく研鑽し、見事に学位を取得されています。慣れ親しんだ環境から、恐れることなく自らの意志で変化を選んだ皆さんの尊い精神に深く敬意を表するとともに、今後の人生においてこの経験が大きな支えとなることを期待しています。
このめでたき日を迎えるにあたり、これまで卒業生、修了生を物心両面から支えてこられたご家族の皆様にも、お祝いとお礼を申し上げたいと思います。
卒業生の晴れの姿は我々教職員にとっても誇らしく映りますが、皆様にとっては、一層眩しく感じられるのではないでしょうか。
また、平素からご支援いただいている佐賀大学同窓会をはじめとする関係者の皆様、そして本日に至るまで、学生の成長を見守ってくださった全ての皆様に、心から感謝を申し上げたいと思います。
さて、卒業生、修了生の皆さんはこれから社会の一員となるわけですが、現代社会はそれまでの常識や定説がごく短期間のうちに一変する時代、いわゆる「不確実性の時代」が到来したと言われています。
早くから警鐘を鳴らされてきた少子高齢化の進行、グローバル社会の到来は既に現実のものとなり、目覚ましい進歩を見せる情報通信技術や人工頭脳は、私たちの実生活へ瞬く間に浸透してきました。さらに、世界から注目を集める我が国の高度再生医療は、他分野への応用も含め新たなステージへと到達しつつあります。
皆さんは社会の急激な変化を的確に捉え、絶えず対応していかなければなりません。社会の変化は更なる変化を誘引し、その構造すら変えてしまうからです。本学で学び、体験し、実践する中で身につけたそれぞれの強みを発揮し、予測のつかない社会変化にも柔軟に適応してほしいと願っています。
ただし先が見えない時代だからといって、変化に合わせるのみの姿勢をよしとするわけではありません。
「維新を維新たらしめた傑物」と評される佐賀の偉人「江藤新平」は、1856年に意見書「図海策」を起草します。この中で江藤は、当時全国で高まりを見せていた攘夷論を真っ向から批判し、開国?通商による富国強兵の実現と国民の生活を第一とする改革の実行を訴えました。
それは鎖国から開国という「変化を是」とする社会情勢の真っただ中とはいえ、260年にも及ぶ幕藩体制を経た状況下では劇薬と言っていいほどに苛烈なものであり、そのまま採用するには全く時代が追い付かないものでした。
事実、『賢君』直正公の元、長崎警備を担当し諸外国の情報に通じていた当時の佐賀鍋島藩においても採用されるには至らず、江藤が考えた改革はさらに時世の流れを待つこととなります。この間に江藤は他藩の情勢を知るために脱藩、謹慎処分になるなど不遇の時を過ごします。
しかし明治維新を経て新政府が発足し、近代的な法制度の確立が急務となると、時代は江藤を必要とします。新政府内で見識が認められ、初代司法卿に就任するやその手腕を存分に発揮し、独立した司法権の確立、さらに教育制度、警察制度、四民平等の身分制度の整備、そして人権の確立と、日本の近代化に「法」の面から多大な功績を残したのです。残念ながら晩年は、佐賀の乱の首謀者として刑死することになりますが、今なお江藤の遺功は法曹界で評価され、江藤の遺志は我が国の法制度に息づいています。
江藤は急激に変化する社会に翻弄されたと言っていいでしょう。しかし翻弄され、社会の変化に自らを合わせざるをえない中でも、その信念は揺らぐことなく若き日に描いた理想を追い求めたとも言えます。
江藤が図海策をまとめたのは、数えで若干23の歳。学部卒業生には同年代の方も多いのではないでしょうか。そしてこれは遠い昔のお伽噺ではありません。150年前この地で学び、生涯を通じ海外留学することもなかった一介の学生が、現代社会に影響を及ぼすほどに雄々しく刻んだ足跡なのです。
皆さんはその足跡が色濃く残る佐賀の地で、地域に根差した佐賀大学で、先人から次代を託された者として社会に雄飛する準備を整えてきました。その姿を私たち教職員はしっかりと見届けています。
皆さんには本学で学んだことに矜持を持ち、社会の変革に適応できる個性を存分に発揮し、次の超スマート社会に対応することを期待している、そのことをお伝えしたいと思います。
結びに、これまで支えてくれたご家族への感謝、そして本学で出会った友人や恩師の存在を忘れず、何よりも学生生活を通して成長した自分自身を信じて、想い描いた目標を達成すべく研鑽を続けることを祈念し、式辞といたします。
本日は誠におめでとうございます。
平成31年3月26日
国立大学法人佐賀大学長 宮 﨑 耕 治